AT&Tの解体 2
「新技術、電子工業会社の爆発的成長、データ処理とデータ通信の区別の不明瞭化、規制機関の競争力育成への新たな意欲、従来の別の事業からの新たな参入者の発生、外国の競争などは、産業とその主導的企業を激しい圧力の下に置いた。
その結果、AT&Tはその戦略を「サービス産業」から「知識産業」に置き換え、型にはまった職能的官僚主義を、あまり型にはまらない適応的な形態に編成替えをした。
1982年のはじめ、AT&Tと司法省は同意審決を取り決めて、ベル・システムを、分散した競争的で、しかも規制された企業に分割した・・・。」
・・・長年勤続したAT&Tマンにしてみれば、ベル母さんへの愛情の念には断ち切れぬものがあったようです。
終身雇用、企業への忠誠心、年功序列、コンセンサスによる意思決定、質の高いサービスと製品ーまさに日本的経営の教科書通りの社風でした。
皮肉なことに、ほかのアメリカ企業がこうした日本的経営を争うように取り上げつつあるとき、AT&T自身はこのような企業文化を捨てねばならなかったのです。
しかし、AT&Tマンはこうしたセンチメンタリズムに長く浸っているわけにはいきませんでした。